さかタロスブログ

さかタロスの思考アウトプットの場所

未来

 

普段思ったことを言葉にする機会が少ないことがつらくて、アウトプットの場が欲しいと思い、はてなブログをはじめてみた。

 

今日は「未来」について。

 

例えば将来の夢。具体的に決まってるという人もいれば、そうでない人もいる。

 

僕は中学2年生の頃に出会った恩師の影響で、教師になりたいと思った。その先生はとても熱く、全ての言動が当時の僕には輝いて見えた。

 

「どうすればこんな男になれるのか」

 

当時の僕の答えは安易で、同じ職業、すなわち教師になるのが手っ取り早い、というものだった。中学の教師になればサッカー部の顧問を持つことも可能で、自分のだいすきなサッカーに大人になってからも関わっていけると思うととても魅力的な仕事だった。

 

そこからの道の選択は簡単だった。

教育大附属に通っていたこともあり、大学はそのまま教育大に進学することに早いうちから決めていた。

試験は、今通っている大学のもの以外受けていない。

 

「あの先生のような男になるために」という一心で大学入学まで突っ走った。

 

大学に入り2年と半年が経った今思うことは、「これが自分の未来になっていいのか。」ということだ。

 

教師を志す多くの人は、小中高どこかで尊敬できる恩師と出会い、それが教師を目指すきっかけになっているだろうと思う。

 

僕の場合も恩師との出会いがあったが、今思うとあんな「先生」になりたかったのではなく、あんな「男」になりたかったのであるから、目指す道は教師でなくても良かったのである。

 

たまたまその人が自分にサッカーを教えてくれた体育教師だっただけで、出会い方が違えば違う道を志していただろう。

 

また、教育大に入学してからの様々な経験を通して、教員の自由のなさにうんざりもした。

 

中学2年生当時の僕には輝いて見えた仕事は、大半が生徒との関わり以外の部分で成り立っている仕事であったのだから無理もない。

僕は生徒と熱く接してくれた恩師に憧れたのに、僕がみていたものは氷山の一角でそれだけでは教師はやっていけなかったのだ。

 

こういうことを言うと決まって、「どんな仕事をしてもどこかで折り合いつけてやっていかないといけない」という人がいる。

 

僕はそう言われるとこう言いたくなる。

 

「これから何十年を捧げるかもしれない場所で妥協する人生の何が面白いのか」

 

そもそもそう言ってくる人は大抵同じ職を続けていて、そこでの経験でしか語っていない。

そんな人に何がわかるのか。

 

僕は一度きりの人生、妥協はしたくない。

ここまでの道で妥協した時はあったかもしれない。

でもこれから先は絶対にしない。

 

未来から逆算して生きる今は楽しいか?

打算の人生でいいのか?

 

僕はお断りだ。

 

「大人になれ。」

 

そう言われるかもしれない。

 

折り合いをつけて生きていくことが大人になるということなら、僕は大人にならなくていい。

 

1秒先、1分先、明日、明後日、1年後、10年後、全ての未来を形作るのは「今この瞬間」を懸命に生きる自分だ。

 

 

 

整理してアウトプットすることで再びインプットにつなげようと思ったが意外と難しい。まとまりのない文章になってしまった。

自分の学びのためこれからもここで色々な考えを発信したいと思う。

 

 

坂井樹生