人生の劇薬 ~Lektion drei~
Guten tag!😊
さかタロスです。
突然ですが皆さん、「ゆきんこ」って知ってますか…?
そう、こういうやつですね。
寒くなってきたころに雪のようにひらひらと空を舞っている虫。
ゆきんこが飛んでいると、あ~そろそろ雪かな?と思ったり、三匹捕まえて願い事をしたり、、、、
え?知らない???? そんなバナ(ry
調べてみると北海道や東北地方に多い虫のようですね
なぜ京都にしか住んだことのない僕は知っているのでしょうか。
小学校の場所が寒かったんですかね?
みなさんも空にひらひらと舞うこの虫を見つけたら、三匹捕まえて願い事をしてみてください。
(人間の熱程度でも死んでしまうようなので、慎重に!)
ゆきんこの話はさておき、今日もアドラー心理学について書きます!
昨日の記事はこちら!💁♂️
自己中心的な考えからの脱却
昨日は共同体感覚の大まかな説明をしましたが、その中で
「関心の矢印を自分ではなく他者に向ける」といいました。
関心の矢印が自分にしか向いていない人は、自己への執着にとらわれている、自己中心的な人です。
自己中心的といえばどんなことを思い浮かべますか?
「俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの」と言ったり、
「我は神なり。」と言ったりする人のことですか???
たしかに。こういう人たちのことを世間的には自己中心的といいますね。
誰とは言いませんが、、、エネr(バリッ)….…すみませんあやうく裁きを受けるところでした。
(たまにボケがマニアック過ぎると言われますがこれはわかりますよね。ね?🙄🙄🙄)
アドラー心理学ではこのようなイメージに加えて、承認欲求にとらわれる人もまた自己中心的だと考えます。
承認欲求にとらわれる人たちは、自分がどう思われているか気にするために、他者に気を遣い生きているので、関心の矢印は他者に向いているのでは?と思いますよね。
しかしそれは違います。
他者に良く思われたいがために他者の目線を気にしているのですから、これは自己への執着に他なりません。
このような人にとって他者は「自分にどれだけの利益を与えてくれるのか」という存在であり、世界は自分を中心に回っているのです。
関心の矢印を他者に向けていくためには「自分は他者に対して何をすることができるのか」を考え、積極的に働きかけていくことが大切です。
ですから共同体感覚とは待っていても獲得はできません。
自らの手で獲得していくものなのです。
そうして得られる貢献感こそが人間にとっての幸福なのではないでしょうか。
ということで、今日はここらで終わります。(唐突)
次回はアドラー心理学における「愛」について書きたいと思います。
(人肌が恋しい季節ですね、、、🍂🍂)
ではまた明日!tschüss!!!👋