その日の前に
4月にドイツへ発つ前に整理しておきたい気持ちがあって今日は書きます。
これを読んで不快になる人ももしかしたらいるかもしれないし、俺のことを気持ち悪いとか、女々しい奴やなとか思う人もいるかもしれないけど、
どうしてもどこかに吐き出したくて書くので、ご了承ください。
何のことかというと、自分という人間を寛容で柔軟な人間に変わろうと思わせてくれた人の話です。
ちょうど一年前まで付き合ってた彼女の話です。
読みたくない人、引き返すなら今ですよ。(笑)
その子のことがとても好きでぼくは全く別れる気なんてなかったし、そんな日が来るなんて思ってもいませんでした。
その時の僕は頑固で、自分の考えに間違いなんてないと思っている傲慢なやつでした。
僕の言動一つ一つにそれが見えていたと思います。
大切な人である彼女にもそんな態度で接していることがあったので、最悪ですよね。
僕としては、好きと毎日言っていたし、彼女が喜ぶことなら何でもしてあげようと思っていたけれど、
親しき中にも礼儀ありというか、距離が近いからこそ大事な気遣い、配慮というものが欠けていたと思います。
彼女の夢を応援できなかったことが、一番の気持ちが離れてしまった原因でした。
僕は小学校の時に両親が離婚し、父の愛に飢えていました。
長男である自分が母を楽させてやらないと、という気持ちが子供ながらにあり、その時から僕は安定した職に就くと決めていました。
その時に夢見ることをやめてしまっていました。
だから、彼女が自分の生きたいように生きようとする夢を聞いて
嫉妬した
彼女には両親がいて、その二人からとても愛されていて、経済的にも厳しいとは言いつつも、俺の家の厳しさには負ける、そんな不幸自慢も心の中にありました。
今思うと本当に最低です。
別れてから半年ほどたち、ドイツに行くと決めたとき、僕の周りの人たちは驚くほど応援してくれました。
応援してもらえるのってこんなにうれしいのか。
あのとき、素直に応援してあげれなかった自分に腹立たしさを感じました。
後悔があるからなのか。
別れた日のことは今でも忘れられない。
別れ話をするために乗った京阪は今まで何年も通った道なのに何倍もの距離に感じられ、最寄り駅につくな、つくな、つくな、と強く思っていました。
案の定彼女の口から発せられた別れようという言葉。
つい最近までは一番近かった彼女がとてつもなく遠く感じられ、もう手は届かない、取り返しのつかないことをしてしまったと、どうすればあの楽しかった日に戻れるのかと、
いろいろな考えが頭の中をめぐりました。
もう彼女はかつて知っていた彼女ではなく、僕と距離を置こうとする他人になっていて、もうどうしようもないことを悟り、自分を恨みました。
彼女と他人になるにはあまりにも濃い時間を過ごしてしまったので、とても忘れられず、思い出の道、場所、通るたびにあふれそうになった涙。
自分が悪いんだから、泣くな俺。
そう言い聞かせて押し殺した感情は自分の中で迷子になってしまった。
学校で彼女を見かけるたびにつらくて目をそらす日々。
正直今でも夢に出てくることもある。
それくらい忘れられない存在。
けれど振り返っていては、目の前にある輝きに気づけないだろう。
「この先ずっと残る君の記憶 そっと振り返るよ それで十分で」
彼女はきっと僕が変わるためのきっかけをくれた、そのための出会いだったんだと、そう思うことで彼女のことを恋しがる心の目を閉じることにします。
ここでけじめをつけてこれから先の人生進んでいきたいと思います。
最後に。
あの時夢を応援してあげられなくてごめん、
俺は四月からドイツに行くことにしました。
あなたは僕の周りには僕のことを応援してくれる人がたくさんいると気づかせてくれた、ほんまにありがとう。
もうかかわることはないだろうけれど、ほんまに好きやったよ。
あの時の別れがくれた俺の想像もしてなかった開けた未来。がむしゃらに進んでいきたいと思います。