さかタロスブログ

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教育

 

 

 

私は現在教育大学に在籍している。

 

 

教育大学では約半数の学生が教師になる。

 

 

 

教育というものは教師だけが行うものなのだろうか。

 

 

 

例えば、会社で部下に何か仕事を教えること。

 

 

これも教育であろう。

 

 

 

地域のスポーツクラブで子供達にスポーツを教えること。

 

 

 

これも教育であろう。

 

 

 

このように考えていくと、誰しもが教育者になりうるわけだ。

 

 

 

 

その中でも一番教育者であって欲しいのは、「親」であると私は考えている。

 

 

 

 

昔からなのか、最近なのかは定かではないが、とりあえず塾に行かせて勉強をさせる。

 

 

そんな親が多いと感じる。

 

 

 

塾はそうやって商売をしているのだから、それで良いと思う。

 

 

 

しかし親は選ぶことができる。

 

 

我が子を塾に行かせるのか否か。

 

 

 

 

その前に自分でできる努力はしたのか?

 

 

 

子供に自分が学んでいる姿を毎日少しでも見せたのか?

 

 

 

それでもどうしようもなく苦渋の選択で行かせたなら、あとはその選択をどううまく活用していくかだと思うが,

 

 

ここまで考えている親がいるのだろうか?

 

 

塾に行かせることで勉強の楽しさに気づく子供は確かにいる。

 

 

でも多くの子供は勉強が嫌になっていないか?

 

 

 

なぜ?

 

 

それはもちろん自分の意思が伴っていないからだ。

 

 

 

やりたいと思ったことは、どこかで休んだとしてもずっと続く。

 

 

その子が何かスポーツが好きなら、そのスポーツとは何らかの形で関わっていくだろうし、長い目で見ると途切れることはない。

 

 

 

 

そこには意思が伴っているからで、おそらくやる気を出さなくてもそれとは関わっていけるはずだ。

 

 

 

 

しかし無理やり勉強させることで勉強が好きでなくなったら?

 

 

 

上に例示したスポーツの場合はいつか今のようには体が動かなくなってしまう。

ゆえに永遠ではないと言っていいだろう。

 

 

しかし勉強の場合は別だ。

 

 

 

生きている限りどんな些細なことからも学びを得ることができる。

 

 

 

なのに学ぶことを嫌いになってしまったら、その子の成長は必ずどこかで止まってしまう。

 

 

 

子どもが自然に学ぶようになる方法の一つとして、親が学び続けている姿を見せるというものがあると思う。

 

 

自分を例に挙げて申し訳ないが、

 

 

私の父親は漫画が大好きでかなりの量の漫画を集めて読んでいた。

 

 

その姿を見て漫画を手に取りたくさん読むようになった。

 

 

一方母親は、活字の本を読むことが大好きで、夏目漱石の「坊ちゃん」などは今でもいくらか音読できるほど読み聞かせしてもらった。

 

 

 

母親がそうやって読書をしているのを見たり、たくさん読み聞かせをしてもらったおかげで、本を読むことに対して抵抗が一切なくなった。

 

 

 

私はどんなジャンルでも良いからたくさん本を読むという経験をすることが子どもだけでなく多くの人にとって学ぶ意欲を向上させると考えている。

 

 

 

安易に塾に行かせてしまう親はこんな風に親としてまず果たすべき行動を取っているだろうか。

 

 

何が本当に今の子供達にとって価値のあることなのか考えているだろうか。

 

 

 

これから親になっていく私たちは常に学び続ける親になろう。

 

 

 

自分に負担のかからない方法より子供達にとってより価値のある方法を選ぼう。

 

 

 

いつも読んでくれている方ありがとうございます。

 

 

 

p.s

 

3月か4月にYouTube始めたいと思ってるので動くさかタロスもよろしくお願いします。

予定やけど。

 

 

あ、あと誰か花粉撲滅させてください。頼みました。