さかタロスブログ

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正しい

 

 

正しい

 

 

 

この言葉の意味を考えることが最近増えた

 

 

 

センター試験では四択から「正しい」回答を選ぶ。

 

 

この場合の「正しい」には明確な答えがある(たまに答えが2個ある時もあるけど)

 

 

 

でも、

 

 

 

『あの人の考えは「正しい」』

 

 

 

これはどうやろうかと。

 

 

 

難しいのはこれについて自分が、

 

 

それは違うやろ、と言ってしまうと

 

 

別のところに正しさが生じてしまうこと。

 

 

 

『正しさ』

 

 

語としては存在してても実際にはないんではないかと今現在は思ってる。

 

 

もちろん明日明後日、来年、10年後の自分は考えがアップデートされてるわけで、そうは思ってないかも知れん。

 

 

でも今現在の自分はそう思ってる。

 

 

 

正しさっていうのは結局のところその人の主観にのみ依存してるから、

 

 

 

100%他人と正しさをすり合わせることはほぼ不可能やと思う。

 

 

AさんとBさんとCさんがいたとして、それぞれにそれぞれの人生経験があって

 

 

その積み重ねによってその人の思考は作り上げられてる。

 

 

お互いがお互いの人生を生きたわけじゃないから、考えてることが理解できひんことも当たり前やけどある。

 

 

けどそれを尊重し合うことはできる。

 

 

 

大事なのはこれやと思う。

 

 

 

日本ではみんなが一方向の正しいところに向かうべく教えられることの方が多いし、

 

そう思ってしまう人がいるのは仕方ない

 

 

 

けど他人の考えを、「そうか、そんな考え方もあるんやな」と受け入れて

 

 

さらにそれを自分の中に落とし込めれば、少し前の自分より進歩できるはず。

 

 

 

ここ半年くらいそれを意識して過ごしてる。

 

 

と、気づいたことがある。

 

 

 

他人の思考を受け入れるために、一旦自分の思考を整理している。

 

 

 

頭に他人の思考を受け入れるスペースを作るためなのかわからないが、

 

自分はこのように感じている。

 

 

 

ということは他人の思考を受け入れることは

 

 

自分の思考を今一度見直すいいきっかけになる。

 

 

さらにその思考を文字に起こしてみると、感動する程に脳内がクリアになる。

 

 

 

殴り書きでもいい。

 

 

今現在の自分はこう考えているのかということが文字に起こすことでよりはっきりとわかる。

 

 

 

過去の自分はこう思っていたのか。

 

と振り返るための材料にもなる。

 

 

 

「考える」ことはとても面白い。

 

 

 

 

 

人間は考える葦である。

 

 

 

 

 

考え続け、自分をアップデートし続けられないと退化していくのみ。

 

 

 

自戒を込めて