教育
私は現在教育大学に在籍している。
教育大学では約半数の学生が教師になる。
教育というものは教師だけが行うものなのだろうか。
例えば、会社で部下に何か仕事を教えること。
これも教育であろう。
地域のスポーツクラブで子供達にスポーツを教えること。
これも教育であろう。
このように考えていくと、誰しもが教育者になりうるわけだ。
その中でも一番教育者であって欲しいのは、「親」であると私は考えている。
昔からなのか、最近なのかは定かではないが、とりあえず塾に行かせて勉強をさせる。
そんな親が多いと感じる。
塾はそうやって商売をしているのだから、それで良いと思う。
しかし親は選ぶことができる。
我が子を塾に行かせるのか否か。
その前に自分でできる努力はしたのか?
子供に自分が学んでいる姿を毎日少しでも見せたのか?
それでもどうしようもなく苦渋の選択で行かせたなら、あとはその選択をどううまく活用していくかだと思うが,
ここまで考えている親がいるのだろうか?
塾に行かせることで勉強の楽しさに気づく子供は確かにいる。
でも多くの子供は勉強が嫌になっていないか?
なぜ?
それはもちろん自分の意思が伴っていないからだ。
やりたいと思ったことは、どこかで休んだとしてもずっと続く。
その子が何かスポーツが好きなら、そのスポーツとは何らかの形で関わっていくだろうし、長い目で見ると途切れることはない。
そこには意思が伴っているからで、おそらくやる気を出さなくてもそれとは関わっていけるはずだ。
しかし無理やり勉強させることで勉強が好きでなくなったら?
上に例示したスポーツの場合はいつか今のようには体が動かなくなってしまう。
ゆえに永遠ではないと言っていいだろう。
しかし勉強の場合は別だ。
生きている限りどんな些細なことからも学びを得ることができる。
なのに学ぶことを嫌いになってしまったら、その子の成長は必ずどこかで止まってしまう。
子どもが自然に学ぶようになる方法の一つとして、親が学び続けている姿を見せるというものがあると思う。
自分を例に挙げて申し訳ないが、
私の父親は漫画が大好きでかなりの量の漫画を集めて読んでいた。
その姿を見て漫画を手に取りたくさん読むようになった。
一方母親は、活字の本を読むことが大好きで、夏目漱石の「坊ちゃん」などは今でもいくらか音読できるほど読み聞かせしてもらった。
母親がそうやって読書をしているのを見たり、たくさん読み聞かせをしてもらったおかげで、本を読むことに対して抵抗が一切なくなった。
私はどんなジャンルでも良いからたくさん本を読むという経験をすることが子どもだけでなく多くの人にとって学ぶ意欲を向上させると考えている。
安易に塾に行かせてしまう親はこんな風に親としてまず果たすべき行動を取っているだろうか。
何が本当に今の子供達にとって価値のあることなのか考えているだろうか。
これから親になっていく私たちは常に学び続ける親になろう。
自分に負担のかからない方法より子供達にとってより価値のある方法を選ぼう。
いつも読んでくれている方ありがとうございます。
p.s
3月か4月にYouTube始めたいと思ってるので動くさかタロスもよろしくお願いします。
予定やけど。
あ、あと誰か花粉撲滅させてください。頼みました。
正しい
正しい
この言葉の意味を考えることが最近増えた
センター試験では四択から「正しい」回答を選ぶ。
この場合の「正しい」には明確な答えがある(たまに答えが2個ある時もあるけど)
でも、
『あの人の考えは「正しい」』
これはどうやろうかと。
難しいのはこれについて自分が、
それは違うやろ、と言ってしまうと
別のところに正しさが生じてしまうこと。
『正しさ』
語としては存在してても実際にはないんではないかと今現在は思ってる。
もちろん明日明後日、来年、10年後の自分は考えがアップデートされてるわけで、そうは思ってないかも知れん。
でも今現在の自分はそう思ってる。
正しさっていうのは結局のところその人の主観にのみ依存してるから、
100%他人と正しさをすり合わせることはほぼ不可能やと思う。
AさんとBさんとCさんがいたとして、それぞれにそれぞれの人生経験があって
その積み重ねによってその人の思考は作り上げられてる。
お互いがお互いの人生を生きたわけじゃないから、考えてることが理解できひんことも当たり前やけどある。
けどそれを尊重し合うことはできる。
大事なのはこれやと思う。
日本ではみんなが一方向の正しいところに向かうべく教えられることの方が多いし、
そう思ってしまう人がいるのは仕方ない
けど他人の考えを、「そうか、そんな考え方もあるんやな」と受け入れて
さらにそれを自分の中に落とし込めれば、少し前の自分より進歩できるはず。
ここ半年くらいそれを意識して過ごしてる。
と、気づいたことがある。
他人の思考を受け入れるために、一旦自分の思考を整理している。
頭に他人の思考を受け入れるスペースを作るためなのかわからないが、
自分はこのように感じている。
ということは他人の思考を受け入れることは
自分の思考を今一度見直すいいきっかけになる。
さらにその思考を文字に起こしてみると、感動する程に脳内がクリアになる。
殴り書きでもいい。
今現在の自分はこう考えているのかということが文字に起こすことでよりはっきりとわかる。
過去の自分はこう思っていたのか。
と振り返るための材料にもなる。
「考える」ことはとても面白い。
人間は考える葦である。
考え続け、自分をアップデートし続けられないと退化していくのみ。
自戒を込めて
大学部活の意義
こんにちは😃
今日は以前インスタでアンケートを取った
「大学部活の意義」
について書きたいと思います。
僕の通ってる大学では全体の4分の1ほどの学生が何かしらの部活をしています。(多分そんくらい)
かくいう僕も一回生の頃はサッカー部に所属していました。
今は現役引退して指導者をしてるわけですが、第三者となった今、大学に行ってなお部活をすることの意義について少し考えたくなり今回の記事を書くことにしました。
インスタでいただいた回答を紹介し、それに僕が考えを述べるという形で進めます。
☆就活に有利
これはよく言いますけど実際どうなんですかね。間違いなく4年間体育会に所属していたことは評価されることだとは思いますが。
高度経済成長期はただひたすら上の人の言うことを聞いて動ける人が必要とされていたので「体育会部活所属」という肩書きはかなり強かったと思いますが、今はどうでしょうか。
それなりに日本は豊かになり、上の人の言うことを聞き従うだけでは足りない時代になりました。考えられる人、行動できる人が有利です。
僕のバイト先の先輩で部活をしてる人はいなかったですが、多くが大手企業に就職されました。
部活をしてる人は部活をする事で得られる価値というか経験があると思いますが、同様に部活をしてない人は部活をしていない時間で得られるものがあると思います。行動さえすればね。
ですから一概に部活をやってればという話では無いと僕は思います。
結局その人がやるかどうか。
部活をやってればいいところに就職できるとしか考えてない人は、正直今の日本について知らなさすぎるし、知ろうとしなさすぎだと思います。
(OBの就職支援とか後ろ盾は強いかもですね!)
☆主体的な活動
これはいくつかいただいた回答ですが、たしかにな〜と思いました。
高校までの部活は現状では顧問やコーチに与えられ活動するという形を取っているところがほとんどであると思います。
しかし大学では顧問やコーチがいないチームもちらほら見かけます。
となると上回生を中心に、
「どんなチームにするか」
「どんなプレーをしていきたいのか」
など学生自身が考えて活動をしていかなければなりません。
これは高校までの部活ではあまり見られないところだと思います。
考えて行動できるという力は引退後も生きてくると思うのでこれはいいところですね。
☆青春
なるほど。これはその通りかもしれないですね。大学に入ると高校までのクラスのようなものはあまり無いし、みんなで1つの目標に向かって努力するという機会は減る気がします。(人によると思いますが)
そういった点で部活は青春の延長戦に突入できる場所だと思います。
☆部活以外の時間が少ない
一応僕も一回生の頃は部活をしていたのでわかるのですが、ほんとに部活以外の時間がない。
自分の話ばかりして申し訳ないですが、僕はサッカーをしに大学に入ったわけではなく先生になろうと思って大学に入ったのに、授業も疎かにさせる先輩もいるし、それが当たり前だと思ってる人もいた。
僕は甚だそれが疑問でした。
何しに高い金払って大学入ったんやと。
特に母子家庭で経済的にきついところがあったので、これは強く思っていました。
部活を続けてないのでなんとも言えないですが、部活をやってない時間で得られるものもほんとにいっぱいあります。
これも行動次第ですが!
部活でしか得られないものもたくさんあるので、どちらがいいとは言えませんが、
ただ僕は大学部活のあり方には甚だ疑問です。
☆飲み会が楽しい
これはその人次第ですよね完全に。笑
その人が酒が好きでならいいですけど
僕はお酒強くないですし、一回生の時は先輩の汚物処理させられて同じお金を払わされたことに腹立たしさを感じてました。
これは部活の良さ悪さとは言えないです。
☆つながり
これが一番の部活の強みかなと。
OBもそうですし、対戦相手と仲良くなることも。
「友達の友達は友達」とはよく言ったもので、つながりは無限といっても過言ではないです。
部活外で得られるつながりもあるかもしれないですが、量としては確実に部活の方が上回ると個人的には考えます。
以上です。
僕は大学での部活にそこまで賛成ではないので偏った意見になっているかもしれませんが、いろんな意見があって当たり前だと思うので。
今日はここまで!さいなら〜
その日の前に
4月にドイツへ発つ前に整理しておきたい気持ちがあって今日は書きます。
これを読んで不快になる人ももしかしたらいるかもしれないし、俺のことを気持ち悪いとか、女々しい奴やなとか思う人もいるかもしれないけど、
どうしてもどこかに吐き出したくて書くので、ご了承ください。
何のことかというと、自分という人間を寛容で柔軟な人間に変わろうと思わせてくれた人の話です。
ちょうど一年前まで付き合ってた彼女の話です。
読みたくない人、引き返すなら今ですよ。(笑)
その子のことがとても好きでぼくは全く別れる気なんてなかったし、そんな日が来るなんて思ってもいませんでした。
その時の僕は頑固で、自分の考えに間違いなんてないと思っている傲慢なやつでした。
僕の言動一つ一つにそれが見えていたと思います。
大切な人である彼女にもそんな態度で接していることがあったので、最悪ですよね。
僕としては、好きと毎日言っていたし、彼女が喜ぶことなら何でもしてあげようと思っていたけれど、
親しき中にも礼儀ありというか、距離が近いからこそ大事な気遣い、配慮というものが欠けていたと思います。
彼女の夢を応援できなかったことが、一番の気持ちが離れてしまった原因でした。
僕は小学校の時に両親が離婚し、父の愛に飢えていました。
長男である自分が母を楽させてやらないと、という気持ちが子供ながらにあり、その時から僕は安定した職に就くと決めていました。
その時に夢見ることをやめてしまっていました。
だから、彼女が自分の生きたいように生きようとする夢を聞いて
嫉妬した
彼女には両親がいて、その二人からとても愛されていて、経済的にも厳しいとは言いつつも、俺の家の厳しさには負ける、そんな不幸自慢も心の中にありました。
今思うと本当に最低です。
別れてから半年ほどたち、ドイツに行くと決めたとき、僕の周りの人たちは驚くほど応援してくれました。
応援してもらえるのってこんなにうれしいのか。
あのとき、素直に応援してあげれなかった自分に腹立たしさを感じました。
後悔があるからなのか。
別れた日のことは今でも忘れられない。
別れ話をするために乗った京阪は今まで何年も通った道なのに何倍もの距離に感じられ、最寄り駅につくな、つくな、つくな、と強く思っていました。
案の定彼女の口から発せられた別れようという言葉。
つい最近までは一番近かった彼女がとてつもなく遠く感じられ、もう手は届かない、取り返しのつかないことをしてしまったと、どうすればあの楽しかった日に戻れるのかと、
いろいろな考えが頭の中をめぐりました。
もう彼女はかつて知っていた彼女ではなく、僕と距離を置こうとする他人になっていて、もうどうしようもないことを悟り、自分を恨みました。
彼女と他人になるにはあまりにも濃い時間を過ごしてしまったので、とても忘れられず、思い出の道、場所、通るたびにあふれそうになった涙。
自分が悪いんだから、泣くな俺。
そう言い聞かせて押し殺した感情は自分の中で迷子になってしまった。
学校で彼女を見かけるたびにつらくて目をそらす日々。
正直今でも夢に出てくることもある。
それくらい忘れられない存在。
けれど振り返っていては、目の前にある輝きに気づけないだろう。
「この先ずっと残る君の記憶 そっと振り返るよ それで十分で」
彼女はきっと僕が変わるためのきっかけをくれた、そのための出会いだったんだと、そう思うことで彼女のことを恋しがる心の目を閉じることにします。
ここでけじめをつけてこれから先の人生進んでいきたいと思います。
最後に。
あの時夢を応援してあげられなくてごめん、
俺は四月からドイツに行くことにしました。
あなたは僕の周りには僕のことを応援してくれる人がたくさんいると気づかせてくれた、ほんまにありがとう。
もうかかわることはないだろうけれど、ほんまに好きやったよ。
あの時の別れがくれた俺の想像もしてなかった開けた未来。がむしゃらに進んでいきたいと思います。
ドラゴンボール超 ブロリーを観に行け
先程ドラゴンボール劇場版最新作、
鑑賞してきました。
オラ興奮で140字に収まらない気がしたからよ、ブログに書くことにしたぞ!!
おっと悟空が出てしまいました、失礼いたしました。
以下ネタバレを含みます、その前に前回までのオススメの記事貼っておくので、よければ!!!
[注意]以下ネタバレを含みます!!!
これまでもブロリーの作品は二本公開されています。
「ドラゴンボールZ 燃えつきろ!!熱戦・烈戦・超激戦」
「ドラゴンボールZ 危険なふたり!超戦士はねむれない」
この2つです。
しかし、今回の新作
この二作品を観たことなくても楽しめます!!!!!!!
〜あらすじ〜
物語は惑星ベジータに、フリーザの父であるコルド王が王位継承を告げに来るところから始まります。
時を同じくしてベジータ王の息子、ベジータ4世(我々がよく知っているベジータです)が保育機内ですくすくと育っていました。
ベジータは歴史的に見ても素晴らしい潜在的な戦闘力を保持しており、ベジータ王はそれをとても誇らしく思っていました。
その時周りを見渡すと、下級戦士のはずのパラガス将軍の息子ブロリーもベジータと同じ部屋の保育機で育てられていました。
ブロリーは時折ベジータをも凌ぐ戦闘力の数値を計測されており、それが理由で同じ部屋で管理されていたのです。
しかし、我が息子を凌ぐ戦死がいることに憤りを感じた誇り高きサイヤ人の王。
ブロリーをポッドで違う惑星へと飛ばすことにします。
それを聞いた父パラガスはベジータ王に詰め寄りますが時すでに遅し。
ブロリーはすでに惑星バンパに飛ばされていました。
そして、我が息子を辺境の地へ飛ばしたベジータ王への復讐を誓うのです。
感想
以上があらすじですが、その後の流れは皆さんご存知ですよね。
孫悟空ことカカロットは、父バーダックによってポッドで地球に飛ばされ助かります。
ベジータ、ラディッツ、ナッパに関しても違う惑星に飛んでおり助かりました。
そこからかくかくしかじかでアニメが終わったところまで飛びます!
(説明がめんどくさくなったわけじゃないよ……????汗)
簡単に言わせていただくとこの映画は
神
語彙力どうなったんねんというツッコミが聞こえてきましたが、日本男児ならもうこの1文字だけで伝わります。
ちなみに僕は戦闘シーンの間興奮が止まらなすぎてにやにやにやにやにやにやにやにやしながら一人で観てました。
ドラゴンボールでよくある展開ですが
初めは優勢、相手が本気を出してきてめちゃめちゃ追い込まれる、すげー必殺技を繰り出して勝つ
完全にこの流れだったのですが、
まず初め、ブロリーの圧倒的強さに軽く絶望します。
しかし悟空がスーパーサイヤ人ゴッドSSになるとさすがの強さにブロリーも太刀打ちできません。
ここで出てくるのがクズの代名詞フリーザ様です。
「ブロリーさん!!!お父様が殺されましたよ!!!!!!!」
いややったんお前やん。。。。。
と会場の全員が思ってましたが、フリーザだから許します。
そしてフリーザの思惑通りブロリーもスーパーサイヤ人になります。
さすがの悟空も一人では太刀打ちできなくなりベジータが加勢します。
しかし我を忘れたスーパーブロリーはまあ強い。2人でも敵いません。
我を忘れているブロリーは敵の判別がつかずフリーザにも襲い掛かります。
その間にナメック星に瞬間移動しピッコロのもとで2人はフュージョンをすることに決めます。
まさか、またガリガリとデブのゴジータが観れるとは、、、、、、、、、、、
鳥山先生ありがとうございます。
ゴジータの圧倒的な力と圧倒的な傲慢さがたたまらん!!!!!!
そしてブロリーには無事勝利するんですが、ブロリーは間一髪のところでドラゴンボールの力により、元いた惑星バンパに戻されます。
悟空はかつてウーブを気にかけたのと同様にブロリーにも接します。
ラストの2人の「また戦おうぜ」みたいなニヤリとした顔がたまらん
今作は鳥山先生が監修されていて、
コミックからのファンの僕としてはギャグの部分、戦闘の部分両方においてとても満足できる仕上がりとなってました。
しかもあれを100分で収めるとは、、、、、、
30分間延々と力を溜め続けて終わることもあるアニメと同じ作品とは思えません。笑
ほんとに語彙力があれなんでとりあえず、
全世界のドラゴンボールファンよ、ドラゴンボール超ブロリーを観に行け
こう言い残して今日は終わります。
そして僕はしっかりフリーザとの戦いに浸りたいと思います。
ではまた!
もう大丈夫!!なぜって??私が来た!!!!!!!
あーブログ全然更新してなかった~
時間作るのって大変やな~
ま、ボチボチやっていこ~
💁♂️ 前回の記事です! 💁♂️
今日は、というか次回にもまたがるかもしれないですが、
自分の夢について話したいと思います。
僕の夢
この夢というものが僕の夢だと思うようになったのはつい最近のことです。
僕のこの夢を語るには、中学から高校にかけての部活動の話をしなくてはいけません。
中学の部活
僕は一番初めの記事、未来でも話したように中学のサッカー部顧問の先生にあこがれていました。
その先生はたくさんのワールドクラスのサッカーを見せることでサッカーにはまだまだ広い世界があり、僕たちには無限の可能性があるということを教えてくれました。
その先生のおかげで僕はたくさんサッカーを見るようになり、たくさんサッカーをするようになりました。
その先生は僕の俊敏性に目を付けて、切れの良いドリブルという武器を見出してくれました。
ぼくはかなり調子にムラがあるタイプだったで、無茶なドリブルをして仲間に迷惑をかけることも多々ありましたが、
「自分の武器はドリブルだ」
と自信を持って言えるほどになりました。
当たり前ですが、部活動には引退というものがつきものです。
その先生は僕が二年生の時に赴任してきたので、一年と少しの間しか指導してもらえませんでした。
別れを惜しみながら、ドリブルという武器を手に入れて高校へと進学します。
高校の部活
そこでまず言われたことは
「アウトサイドを使うな」
でした。
足の内側をインサイド、外側をアウトサイドというのですが、
基本的にスピードに乗ったドリブルをしているときは、
アウトサイドを使ってドリブルをしているので、
素早くパスを出すためによくアウトサイドを使っていました。
さらには一年生はドリブル禁止、ということまでいわれました。
「は?????????」
こうして地獄の三年が始まります。
中学で楽しみながら手に入れた武器を入学と同時に奪われたのですから当たり前ですよね。
まず、基本的にプレーに対して否定しかされないので言われたとおりに動きます。
チームとしては言われたことに100パーセント従えるプレーヤーがいいわけです。
今考えてもそのサッカーの面白さがまったくわかりません。
そんな風にサッカーをしていて、前向きに練習ができるわけがないです。
僕は正直高校でサッカーが好きではなくなりました。
しかし、嫌いにはなれなかったんです。
サッカーから離れようとすればするほど離れられない。
(元カノのことを忘れようとすればするほど忘れられないのと同じです。)
他の場所でサッカーをするという考えもなかったので、とりあえず三年まで続けました。
続けてみてわかったことは
サッカーは愛してるけど、部活は嫌い
ということです。
サッカーというスポーツは好きで好きでたまらないのにやらされてることが気に食わないし、それに従わないと試合に出れないというところがまた気に食わない。
せっかくの三年間をこんな風に過ごしてしまったことがいまだに心残りです。
部活動の意義
僕と同じように考えていたサッカー部の子も何人かいました。
ということは他の学校でもきっと同じようなことが起こっているでしょう。
けれどやめない人のほうが多い。
コミュニティーが学校にしかないと考えているからです。
今思うとそんなことはないんですよね。
社会人チームに入ることもできるし探せばクラブチームに入れたかもしれない。
日本には部活に入ってスポーツをするという文化が根付いているため他の世界を知らない高校生なんて何も考えずに部活に入り、多少嫌なことがあろうと続ける。
そうやって僕が続けて得られたものは確かにあります。
仲間は当然のこと、我慢すること、も覚えました。
でも、我慢する力っている???
何でもかんでも自分のやりたいことをやっていては世界は崩壊すると思いますが、
言いたいことを言えない、やりたいことができない環境にいて自分にプラスになることがあるでしょうか。
そこでしかできない経験も絶対にあってどちらが良いと一般化することは難しいと思います。
僕の意見としては部活で得られるものより他のことをして得られるものの方が価値があると思います。
ただしそれは何気なく過ごす日ではなく、自分がやりたいと思ったこと、またそれに向かって何か行動をすることで得られる経験においてです。
僕の部活動で得た経験から考えた問題点が一つあります。
指導者が選べない
これです。
基本的に現状では部活動は学校とセットなので学校の先生の誰かが顧問をすることになります。
その顧問のことが嫌でも学校を変えない限りこちらが指導者を選べることはありません。
それのせいで僕のようにサッカーが好きでなくなった人がほかにもいると思います。
あんなに世界的に愛されていて日本国内でも多くの人が熱くなれるスポーツを、たった一人との出会いで失ってしまうのはとてももったいないです!!!
だから僕はこの現状を変えたい。
指導者が選べず、花が咲く可能性を奪われるのはあんまりです。
日本サッカーの未来にとっても絶対に良くない。
でも大丈夫!なぜって???
私が来た!!!!!
….ということで次回の記事では今後僕がどうしていきたいのか
具体的なことについてかいていきたいとおもいます。
最後まで読んでくれた方、どうもありがとうございます。
ぜひ次の記事も読みに来てください
ブログ始めてみーひん?
いいか、人生っていうのはな、お前らが思ってるより短えんだよ!
だから絶対にその時間無駄にすんなよ!!!
今日はキミシダイ列車歌ってるtakaの名言をお届けしました。
【HD】ONE OK ROCK - キミシダイ列車 "Mighty Long Fall at Yokohama Stadium" LIVE
なんやかんやワンオクが一番好き。
ということで今日も書いていくぞ~
👇 前回の記事 👇
今日でブログを書きだして、、、
2週間(と少し)経ちました!!!!✨✨
(ぱちぱち~)
なんとなーーく始めて、意外といろんな人に読んでもらえてたくさん反応してもらえたので続けられました。ありがとうございます。
今日は
ブログをはじめてみて感じたこと
をいくつかあげたいと思います!
最高のアウトプットの場所
ブログを始めた理由でもありますが、自分の思考を言葉にする機会は多ければ多いほどいいと思います。
(ブログを始めた理由についてはこちらをご覧ください。)
自分がどういう考えを持っていて、どんな風に生きているのかということは自分の中にしまっていてもみえにくいですが、
言語化することで客観視することができます。
すると自分はこんな風に考えているのか、と自分を自分で整理することができます。
自分の思考を整理できていると、ほかのいろんな考えを受け入れるスペースができるので、いろんなことに寛容になれます。
そしてその考えを受け入れたことで自分の世界がまた広がります。
以降は無限ループですね~
インプットの機会が増える
アウトプットをするためにはどうしてもインプットの量を増やす必要があります。
そのためにたくさん本を読むようになったりいろんな音楽を聴いてみたり、たくさん映画を観たり、歩いているときにたくさんの情報を入手しようとアンテナを張りながら過ごすようになったりしました。
すると今まで何気なく過ごしていた時間がとても充実したものになり、
「なんか面白いことおきひんかな~」
と考える時間が激減しました。
待ってても何も起きない、自分から行動することの大切さが身に染みてわかりました。
たくさんの価値観に触れる
ブログを始めてから、たくさんのほかのブログを読むようになりました。
始めは教育に関するブログを多く読んでいましたが、芸術系ブログや、スポーツ系ブログなど今は様々なジャンルのブログを読むようにしています。
多くのブログを読むことは僕のブログの成長の糧にもなりますが、
なにより僕自身の思考世界を広げてくれる光になります。
物事を一つの側面からしか見れない人間よりも多くの面から見れる人間のほうが、生きていくのに苦労することが少ないと思います。
そういう人間の周りには同じように考えられる人間がより多く集まると思います。
そうやって社会が広がっていけば、互いに寛容な世界を展開していけると思っています。
最後に
以上がブログを始めてから感じていることです。
たくさんアウトプットとインプットを繰り返すことで、大きく成長できます。
ぜひアウトプットできる場所を皆さんも探してみてください。
ではまた明日👋